古くは紀元前14世紀の古代エジプトの少年王・ツタンカーメンの副葬品に麻製の手袋が発見されています。
紀元前8世紀の古代ギリシアのホメロスの作品には、美と愛の女神ビーナスが棘(いばら)のトゲが刺さらないように手袋をはめたことが出てきます。そして紀元前4世紀ごろ、ギリシアの歴史家クセノフォンがペルシアの風俗を書いた著作に、寒さを防ぐために5本の指が分かれた手袋をはめていたことが書かれています。
中世ヨーロッパでは、国王や僧侶ら上層階級の人々が宝石で飾った手袋をはめ、特に教会では手袋は指輪とともに司教の地位にある者だけしかその使用が認められておらず、神聖な象徴として認識されていました。それを示すように西洋の人物画には、手袋をはめた上層階級の姿を描いたものが見られ、18世紀に編纂された『フランス百科全書絵引』には男性用や婦人用手袋の型と道具、そして手袋作りの仕事場が紹介されています。
しかしながら、手袋をはめていたのは上層階級だけではありません。防寒や外傷を防ぐための実用的な手袋が世界各地で作られ、使用されています。
日本では、平安時代後期(12世紀)の『信貴山縁起』や南北朝時代(14世紀)の『慕帰絵詞』などの絵巻物に手袋をはめている人物が描かれています。
時代が下り江戸時代の初め、元禄時代(17世紀)には赤穂浪士の一人である大石主税(大石内蔵之助の長男)の手袋が赤穂浪士の墓所がある泉岳寺(東京都港区)に伝わっています。江戸時代末期、天保元年(1830)の『嬉遊笑覧』には武士がメリヤスの手覆(手袋のこと)を用いていたことが書かれています。
また、民具の一つとして藁(わら)や布で作られた手袋が各地で伝わっています。明治時代になると手袋会社が設立され、メリヤス布を使った商品としての手袋が製造されるようになりました。
「香川のてぶくろ資料館」では、令和3年11月24日から12月26日まで、英国の手袋コレクション団体「ワーシップフルカンパニー」のご協力を得て、17世紀を中心としたヨーロッパの手袋にスポットを当てたパネル展を開催しました。メインテーマは、手袋の手首部分の広がりに各種の装飾を施した「ゴントレット」と呼ばれる手袋。2つ目は宗教的意味を持ち、信仰と権威の象徴となった「聖職者の手袋」、3つ目は王位の継承から王位の失墜・死にいたるまで様々な役割を果たした「王家の手袋」の3つの視点でパネル展を開催しました。詳しくは資料提供元のワーシップフルカンパニーへ直接リンクいただければご覧いただけます。