グローブミュージアム‐日本手袋工業組合

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手袋の歩み 活況期





  •  手袋業者の努力により手袋産業は香川県を代表する産業に成長し、昭和25年の朝鮮戦争の特需、同30年代の神武景気、岩戸景気と大型消費ブームにより、当時世界の手袋産地であったアメリカを押さえて、当地が世界一の手袋産地となりました。この好況により手袋工場が多く設立され、旧白鳥町・旧大内町・旧引田町だけでなく、徳島県からも縫い子さんが多く来ていました。国鉄讃岐白鳥駅は昭和30年代の年間乗降人員が100万人、年間荷物発着数も2万を越えていました。そのころ白鳥駅は乗降する通勤者がホームにあふれるほどでした。また船便での出荷も多くあり、白鳥港から大阪に向けて次々と荷物が送り出されていました。




    • 昭和30年(1955)

      香川県旧引田町の手袋会社が韓国ソウルでビニール手袋を製造する。これが手袋産業の海外進出の始まりとなる。

      このころ神武景気。

    • 昭和30年代

      アメリカ向けの輸出を中心に産地全体が大変活況を呈す。

    • 昭和34年(1959)

      昭和34年度の手袋輸出額が22億円となり、同年度の香川県輸出額の過半数を占める産業となる。

      このころ岩戸景気。

    • 昭和35年(1960)

      ゴルフ用手袋の製造販売が始まる。

    • 昭和37年(1962)

      日本手袋工業組合発足(〜現在)

    手袋工場の風景
    国内生産最盛期の手袋工場の風景
    昭和37〜38年(1962〜63)
    出荷風景
    アメリカ向け手袋の出荷風景
    昭和35年(1960)
    • 昭和39年(1964)

      ビニール手袋の輸出が急増するが、それ以外の手袋出荷額が急落する。

      東京オリンピック開催。

    • 昭和40年(1965)

      アメリカ軍がベトナム北爆開始。

    • 昭和41年(1966)

      中国で文化大革命がおこる。

    • 昭和42年(1967)

      自動車保有台数が1,000万を越える。

    • 昭和43年(1968)

      手袋音頭の歌詞、編曲、振付も改訂し、ビクターレコード株式会社からレコード化される。

      GNPが世界第2位となる。

      このころいざなぎ景気。3C(カー・クーラー・カラーテレビ)時代に入る。

    • 昭和44年(1969)

      アポロ11号が月面着陸に成功する。

    • 昭和45年(1970)

      大阪万国博覧会開幕。

    • 昭和46年(1971)

      ドル・ショックの影響で手袋の輸出が下降し始める。この年の輸出比率は42%であったが、4年後の昭和50年には13%まで落ち込んだ。

    • 昭和47年(1972)

      札幌冬季オリンピック開催。

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